ペットを見送られたご家族から、「もう半年経つのに、まだ写真を見ると泣いてしまう」「周りに話しても『たかがペットで』と言われそうで、言えない」というお話をうかがうことがあります。
まず申し上げたいのは、それはおかしなことではないということです。悲しみの深さは、一緒に過ごした時間の長さと、注いだ愛情の量に比例します。10年、15年と毎日そばにいた家族がいなくなったのですから、半年で元どおりになるほうが不思議です。
「立ち直る」必要はない
ペットロスについて調べると、「乗り越える」「立ち直る」という言葉が並びます。けれども、悲しみは克服するものというより、抱えたまま日常に戻っていくものです。
忘れることが供養ではありません。思い出して、名前を呼んで、手を合わせる。それを続けているうちに、思い出したときの気持ちが「苦しい」から「懐かしい」へ少しずつ変わっていきます。時間はかかります。かかってよいのです。

お寺が法要を続ける理由
初七日、四十九日、百か日、一周忌。仏教にこれだけ節目があるのは、亡くなった側のためだけではありません。残された者が、悲しみを言葉にする機会を定期的に持つためでもあります。
ご家族が集まり、お経をあげ、その子の話をする。そのたびに、心の中の場所が少しずつ整っていきます。「気持ちの整理をつけなさい」と言われても難しいものですが、手を合わせるという形があると、気持ちのほうが後からついてきます。
法輪寺には、毎年の命日にお参りに来られる方がいらっしゃいます。何年経っても構いません。むしろ、そうやって通える場所があることに意味があると思っています。
「あのとき、こうしていれば」と思うとき
もっと早く病院に連れて行っていれば。仕事を休んで看取ってあげていれば。最期の日に留守にしてしまった——。こうした後悔を抱えている方は、とても多くいらっしゃいます。
あえて申し上げますが、後悔しない見送り方というものは、ありません。どれだけ手を尽くしても、亡くなったあとには必ず「もっと何かできたのではないか」という思いが残ります。それは、その子を大切に思っていた証です。
その後悔を消すことはできませんが、行き場をつくることはできます。お経をあげ、手を合わせ、その子に語りかける。「ごめんね」と言える場所があるだけで、抱え方が変わってきます。
お子さんへの伝え方
小さなお子さんがいるご家庭では、どう伝えるか迷われると思います。「遠くへ行った」「お空に行った」という言い方をされる方が多いのですが、私は隠さずに伝えることをおすすめしています。
子どもは、大人が思うよりもずっと現実を受け止めます。むしろ、あいまいにされることで「いつか帰ってくる」と待ち続けてしまうことがあります。
そして、お別れの場に参加させてあげてください。お花を選ぶ、手紙を書く、といった役割があると、子どもなりに気持ちの整理ができます。ペット供養堂でのご葬儀には、お子さんもご一緒にご参列いただけます。生きものが亡くなるということを、身をもって知る機会にもなります。
次の子を迎えることについて
「新しい子を飼うのは、あの子への裏切りではないか」というご相談もあります。そんなことはありません。ただ、「代わり」を探そうとすると、うまくいかないことが多いようです。
亡くなった子と比べてしまい、かえって苦しくなる。だから、次の子を迎えるなら、前の子とはまったく別の家族として迎えるほうがよいと思います。時期に決まりはありません。半年で迎える方も、10年迎えない方もいらっしゃいます。
つらいときは、手を合わせに来てください
法輪寺は大阪府堺市中区の高野山真言宗の寺院です。境内にペット供養塔があり、納骨された方はもちろん、ほかでお見送りされた方のご相談も承っております。
法要のご依頼でなくても構いません。「話を聞いてほしい」だけでも結構です。法輪寺は先祖供養・祈祷・祈願とあわせて、人生相談も承ってまいりました。宗旨・宗派は問いません。
なお、悲しみが長く続いて、食事や睡眠がとれない、仕事や家事に支障が出ているという場合は、心療内科やカウンセリングなど専門の方に相談されることもお考えください。それは弱さではありません。
この記事を書いたお寺
大阪府堺市中区の高野山真言宗 法輪寺。ペット供養堂での読経・ご焼香のあと境内で火葬し、ペット供養塔への納骨・永代供養、その後の年忌法要まで、ひとつの境内でお勤めしています。宗旨・宗派は問いません。法輪寺について
